課題

                     平成21年1月23日更新

学生時代など
よく「課題」が出たものです

デザイナーを目指していた頃も、日々課題だらけでした

ひと口にデザイナーと言えば聞こえはいいのですが
課題の提出の期限との戦いの連続でした

デザインばかりしていたらいいのではなく
服も縫えなくてはいけません

卒業制作は、卒業式に着る
イブニングドレスを自分で縫うことでした

その前にも
いろいろな課題がありました
「スカート早縫い3時間」の課題は

スカートのパターンを書き
一枚の布にはさみをいれるところからはじまり
ファスナーをつけてベルトをつけて
一枚のスカートを3時間以内に縫わないと試験に合格しない課題でした

これこそ
「必死!!!」と言う言葉がピッタリと当てはまったことがないように思います

ひょんなお母ちゃんのひと言から
占い師の道に入ってからも、いろいろな課題をこなしてきたように思います

いつでも課題と言うものは、ついて回るものだと先日思いました

 100日も終わり
ホッとするのも束の間・・・

次から次へと
新しい課題を神様は私に提供するものだと感心したりします
四国へ行くのもひとつの課題だったのです

そんなときはいつも「あっ、きたな!」と感じるのです
課題は100日祈願とかいうものではないのですが
いつも「能力と体力」をしいられます

毎朝
通っているお寺ですが、毎日が違います
毎日「課題を出されている」感じです

何故に、こんなに
修行をしなくてはいけないのか?と思うような考え方から
はるか遠く、上の考えをすることがようやくできるようになりました
これも
日々「しこんで頂いてるお陰さま」だと感じることができるようになりました

「明蘭はすごくバタバタ動いているんですけど
忙し過ぎてイライラくることありませんか?」と尋ねられることがしばしばあります

私の場合は
余りイライラくることはありませんし
課題をこなしている感覚もありません

昔は
「必死のパッチ☆」のように課題をこなすことに凄く意味があるように感じていました
「若気の至り」だったtと思います

今は
穏やかに
全てを感じることができるのは
自分の中で「なんで?」がなくなってきたからだと思います

「なんで?なんで?」と思うときは
「なんで私ばっかり損しなくちゃいけないの?」とか
「なんで手伝ってくれないの?」
「なんで私の気持ちを受け止めてくれないの?」とか考えていたからだと思います

「なんで?」と思いながら用事をするのと
「するのが当たり前〜♪」だと思ってするのとでは凄く違いがあるように思います

自分の中で「当たり前はOK☆」ですが
人に対して「当たり前」だと思うことは危険です
自己中心的な傲慢な考え方になるので注意しなければいけませんね

当たり前だと思いますと
相手がしてくれないことに「腹が立ちます」

そうすると自分がイライラきます

どれだけ忙しくても受け入れることができる自分になると、余りイライラこないものです

少し、嫌ないことがあっても、美味しくものを食べて
ぐっすり〜眠ることができたら、心も体も快調になれるものです

そうして
人を憎まず、人を愛し、人に頼りすぎず、生きていけたら幸せだと思いませんか

そう思えたら、そうする自分に近づきましょう♪
それがあなたの課題だと感じたら課題をこなしていきましょうね

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            明蘭